オイラーの偶像 小説

【SS】キスカムは、一夜の魔法

 

 

「よっしゃ、ナイスパス! そこだ、打て!」
「わぁ、入った! すごいね、今の連携!」

隣で弾けるような声を上げたのは、二川一夜。ニット帽を目深にかぶり、大きめの伊達メガネで顔の半分ほどを隠している彼女は、普段テレビやステージで見せる国民的アイドルとしての姿とはまるで別人だ。まあ、それでも隠しきれないオーラがだだ漏れているのは、ご愛嬌というやつだろう。

「だろ? 俺の言った通りに試合が動いてる。今日のAチームは攻撃の組み立てが抜群に良いんだよ」
「ふふっ、安城くんは本当にバスケ好きだね。解説、すごく分かりやすいよ」
「まあな。伊達に毎週チェックしてるわけじゃないんで」

俺と一夜は、共通の趣味であるバスケットボールの試合観戦に来ていた。一夜がアイドルだってことはもちろん知っているし、こうして二人で出かけるのは、正直言って毎回ちょっとしたスリルが伴う。だが、彼女が本当に楽しそうにしているのを見ると、そのくらいのリスクは許容範囲だと思えた。

「あ、ハーフタイムだね。前半、あっという間だったなぁ」
「ああ、いい試合だった。後半も期待できそうだ」

 

 

選手たちがコートから引き上げ、アリーナの大型モニターにはリプレイ映像やCMが流れ始める。俺たちは売店で買ったポップコーンを摘まみながら、今の試合についてああでもないこうでもないと感想を言い合っていた。

「それにしても、安城くんが選んでくれた席、すごく見やすいね! ありがとう」
「おう。コート全体が見渡せるし、選手の表情もギリギリ見えるだろ? 特等席だ」
自信満々に胸を張ると、一夜は「うん、最高!」と屈託なく笑った。その笑顔に、不覚にも少しドキッとしてしまう。

その時だった。
大型モニターに、陽気な音楽と共に『KISS CAM』の文字が映し出された。会場が「おー!」とどよめく。カメラが客席のカップルをランダムに映し出し、キスを促す恒例のイベントだ。

「あ、キスカムだ。こういうの、海外の試合みたいで楽しいよね」
一夜はどこか他人事のようにモニターを見上げている。
「まあ、盛り上がるよな。俺たちが映ったらどうする?」
軽い冗談のつもりで言うと、一夜はきょとんとした顔で俺を見た。
「え? 私たち? まさかー」
「だよな。うん、そうだよな」
そう言いながらも、一瞬、もしも映ったら……という考えが頭をよぎり、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

何組かのカップルが照れながらキスをしたり、おどけてみせたりして会場を沸かせている。
「あの人たち、ラブラブだねー」
「ああいうのは見てる分には面白いけどな」

モニターのカメラが、ゆっくりと客席を舐めるように移動していく。
まさかな、いくらなんでも俺たちは……。

その瞬間、大型モニターに、見慣れた二つの顔がでかでかと映し出された。
俺と、隣にいる変装した一夜の顔が。

「「「「キャー!!」」」」
「「「ヒューヒュー!!」」」

周囲の観客が一斉にこちらを見て、指をさし、囃し立てる。
嘘だろおい! マジかよ!

(え、俺たち!? なんで!?)
(っていうか、一夜! こいつアイドルだぞ!? 俺のせいでスキャンダルとかシャレにならん!)
(そもそも付き合ってねえし! キスとか無理無理無理!)
(どうする、どうすればいいんだ!?)

俺としたことが、完全にパニック状態だった。顔がみるみる熱くなり、心臓がドラムのように鳴り響く。隣の一夜を見ると、彼女も一瞬目を丸くして驚いていたが、すぐに状況を理解したのか、俺の焦りっぷりを見て、ふっと口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

おい、まさかお前、楽しんでるのか!?

周囲の「キスしろー!」コールはどんどん大きくなっていく。もう逃げ場はない。
どうしよう、と俺が固まっていると、一夜がすっと顔を近づけてきた。

え、ちょ、まさか……!

彼女の甘い香りが鼻先をかすめる。
次の瞬間、俺の頬に、柔らかい感触がふわりと触れた。

「「「「うおおおおおお!!!」」」」

会場が今日一番の歓声に包まれる。
大型モニターには、俺の真っ赤になった顔と、してやったりという顔でいたずらっぽく微笑む一夜の姿が映し出されていた。

俺は呆然と一夜を見つめるしかなかった。頬に残る感触が、やけにリアルだ。
やがてキスカムは次のカップルへと移っていき、周囲の興奮も少しずつ収まっていった。

「……お、おい、一夜……お前、何してくれてんだよ……」
ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほど上ずっていた。
一夜は伊達メガネの奥の瞳をキラキラさせながら、小悪魔のように笑う。

「ん? だって安城くん、すごく面白い顔してたから。サービスだよ、サービス」
「サービスって……心臓止まるかと思ったぞ!」
「ふふっ、ごめんごめん。でも、たまにはこういうサプライズもいいでしょ?」

そう言って俺の顔を覗き込んでくる一夜に、俺はもう何も言えなかった。
この俺が、完全に彼女のペースに乗せられている。
頬の熱は、しばらく引いてくれそうになかった。

後半の試合がどうなったのか、正直あまり覚えていない。
ただ、ポップコーンの甘い味と、頬に残る柔らかい感触だけが、やけに鮮明だった。

 

 

 

※この小説は配信中にコメントとの掛け合いによって閃いた小説です

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